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卒業

今までの人生で何度も学校を卒業したことあるが、大体「時間が経ったら卒業した」という感じだった。小学校から高校までは授業さえ受ければ誰でも卒業できる。大学は一応単位と卒論という条件が追加されたが、僕が通ったところではとてもゆるくて、卒業するために特に頑張ったという覚えがなかった。そのゆるさのおかげで大学四年生の頃どっぷり日本語の勉強ができて、とてもありがたく思っている(笑)

今回の卒業はひと味が違った。自己評価すると、「一生懸命頑張った」までは行けなかったが、「そこそこ頑張った」くらいでいいかな。日本での修士(Master)は、いくら時間が経っても、それなりの研究成果がなければ卒業ができないことが最初から告げられた。だけど、「それなり」の基準が、今でもよく分からない。その結果、そこそこ頑張った二年だった。


そもそも日本の大学院に行くと決めたのは、研究をしたいわけではなかった。僕にとって日本の魅力は主に二つある。一つは、日本の人が日本語をしゃべること。日本語しか対応していない日本製ゲームが多く存在するため、日本語力を身に付ければプレイできるゲームの範囲が広がる。もう一つは、日本でしかプレイできないゲームがあること。日本のゲーセンで稼働されている多くのアーケードゲームは、中国ではプレイできない。日本以外にも稼働されているところも一応あるが、数と種類を考えるとやはり日本に来るのがベストチョイスだ。

というわけで、入学した後、ずっと「何をすれば卒業できるんだろ」という悩みを抱え込んでいた。テーマを決めるため、とりあえず先生のアドバイスに従って、ちょっと興味のある分野で論文を探して読んで、そこから何か新しいアイデアを考え出すことにした。ただし、そのアイデアは新しさ(新規性)と嬉しさ(研究の価値?)がなければならない。特に知識のない僕にとって、その二つの特徴を兼備しているアイデアを捻出することはなかなかむずかしい。結局、考え出したアイデアがボコボコされて、振り出しに戻る。このようなプロセスを何度も何度も繰り返して、ようやく自分ができそうな研究テーマを見つけたけど、それと同時に、自分は研究者を向いていないこともだんだん分かってきた。

僕から見ると、研究者にとって一番大事なのは、自分の研究成果に嬉しく思う気持ちだ。そういうモチベーションがあるからこそ、大量の時間と情熱を研究に振ることができる。それに、研究は常に新しいことを挑戦するから、”これくらいの時間を払えばこれくらい”の報酬がもらえるという予測が難しい。もちろん仕事も単純に時間をお金に引き換えるものではないと思うけど、研究と比べれば比較的にコントロールしやすい。だからこれからただゲームをプレイし続けたい自分にとっては、できるだけ少ない労働時間で生活を維持できるお金を儲けることが望ましい。今の段階では、仕事という選択が一番いいと判断したので、これから社会の歯車として(ry


ちなみに、修士課程での研究テーマはソースコード検索関連なものだった。正直なところ、モチベーションのところは今でも少し怪しいと思うけど、これから更に掘り下げても何も得られないから、もうこのままでいいかな。今後どっかに出すかもしれないが、どこにも出さないかもしれない。もうどうでもいい。疲れた。

This post is licensed under CC BY 4.0 by the author.

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